映画「来る」の考察まとめ

映画「来る」は、恐怖と人間の内面が織り成す独特な世界観が話題となった日本のホラー作品です。

本作は単なる恐怖体験にとどまらず、社会的なテーマやキャラクターの深層心理を掘り下げている点で多くの評価を集めました。

本記事では、映画「来る」の魅力や考察ポイントを3つの観点から掘り下げていきます。

目次

考察① 恐怖の本質:見えないものが引き起こす不安

本作の最大の特徴は、視覚的な恐怖に頼らず、心理的な恐怖を巧みに描いている点です。

映画内で描かれる「何か」が、はっきりとした形で表現されないことにより、観客の想像力を刺激し、恐怖を増幅させています。

例えば、家族に忍び寄る謎の存在「ぼぎわん」の描写は、終始曖昧で具体的な姿を明確にしません。

この不確実性が、人間が本能的に感じる不安を引き出し、現実との境界を揺るがす要因となっています。

また、この恐怖は登場人物たちの内面とも密接に結びついています。

夫婦関係の崩壊や社会的孤立など、彼らの弱さや葛藤が「ぼぎわん」の存在感をさらに強調しているのです。

「目に見えないものこそ怖い」というテーマは、本作全体を貫く重要なメッセージと言えるでしょう。

考察② 人間ドラマの中で浮き彫りになる弱さ

映画「来る」は単なるホラー映画ではなく、人間関係の複雑さや個々の弱さを描くドラマとしても優れています。

特に、田原秀樹(妻夫木聡)のキャラクターはその象徴です。

彼は一見すると理想的な夫であり父親のように描かれていますが、物語が進むにつれ、その表面の裏に隠された無力さや矛盾が明らかになります。

例えば、彼が妻の香奈(黒木華)や娘との関係を大切にしているように見えて、実際には自分自身の無力感や虚栄心に悩まされている場面が随所に描かれます。

香奈の視点からも、夫婦間の不和や不信感が物語を動かす重要な要素となっています。

彼女の強さと脆さが、ホラー要素と絡み合いながら観客に深い感情移入を促します。

人間の弱さが、「ぼぎわん」という恐怖の具現化と繋がることで、物語に奥行きが生まれていると言えるでしょう。

考察③ 多彩なキャラクターによる群像劇

「来る」では、多様なキャラクターが物語を彩ります。

特に注目すべきは、除霊師である比嘉真琴(岡田准一)や巫女のキャラクターである比嘉琴子(松たか子)です。

真琴は冷静かつ的確な判断力を持つキャラクターでありながら、彼自身も過去のトラウマに苦しんでいます。

彼の葛藤は、ただの「除霊のプロ」ではない人間味あふれる一面を際立たせています。

一方、琴子の存在は物語に霊的な深みを与える重要な役割を担っています。

彼女の行動や言葉には、単なる迷信や宗教的儀式を超えた意味が込められており、観客に「本当の恐怖とは何か」を問いかけてきます。

また、他の登場人物たちもそれぞれが独自のバックストーリーを持ち、物語の進行とともにその複雑さが明らかになります。

こうした群像劇の要素が、「来る」の物語を単調なホラー映画にとどめない魅力的なものにしています。

まとめ

映画「来る」は、恐怖と人間ドラマを絶妙に融合させた作品です。

目に見えない恐怖や人間関係の繊細さ、多様なキャラクターが織り成す群像劇が、観る者に深い印象を与えます。

単なる恐怖体験を超えて、観客に「私たちは何を怖れるのか」「人間の弱さは何を生み出すのか」を考えさせる作品です。

恐怖映画の枠を超えた本作を、ぜひ多角的な視点で楽しんでみてはいかがでしょうか。

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